授業の体験版:応用化学概論
創薬ミッション
インフルエンザの薬を、コンピュータで設計してみよう。応用化学概論の授業のストーリーを、4つのステップで通して体験します。
薬の候補になる分子は数えきれないほどあり、実験で1つずつ作って試していては、とても時間が足りません。 計算化学は、分子を「作る前に予測する」ことで、この道のりを近道します。 このページでは、実際に使われている2つの薬、リレンザとタミフルを題材に、薬づくりの道のりをたどります。 図はどれも、さわると動きます。
MISSION
インフルエンザの「飲み薬」を、コンピュータで設計せよ
合格の条件は2つ
- ① ウイルスの「はさみ」のくぼみに、ぴったりはまること(STEP 1・2)
- ② 飲んだあと、ウイルスのいる場所まで体の中を届くこと(STEP 3)
STEP 4 では、STEP 3 で使った計算の道具が、どうやって作られたかを見ます。
STEP 1
敵を知る→
インフルエンザウイルスは、どうやって広がる? どこをねらえば止められる?
STEP 2
くぼみにはまる分子を探す→
はさみのくぼみに、ぴったりはまる分子は?
STEP 3
体に届く分子に直す→
リレンザを、飲み薬にできる?
STEP 4
データから規則を学ぶ→
log P の計算は、どうやって作られた?
STEP 1
敵を知る
ミッション:インフルエンザウイルスは、どうやって広がる? どこをねらえば止められる?
カギをにぎる、表面の2つの「手」
ウイルスの表面には、2種類のとげが生えています。ヘマグルチニン(HA)は、細胞をつかむ「くっつく手」。ノイラミニダーゼ(NA)は、増えたウイルスを細胞から切りはなす「はさみ」です。
インフルエンザウイルスが増えるしくみ
ウイルスは自分では増えられません。細胞にくっついて中に入り、細胞の工場を乗っ取って、自分のコピーを大量につくらせます。①〜⑥の場面がくり返し流れます。
このどこかを止めれば、ウイルスは広がりません。どこを止めればよいでしょう。
はさみが広げる、薬が止める
「薬なし」と「薬あり」を切りかえてみてください。インフルエンザの薬は、ウイルスが細胞から出てくるのを止めるのではありません。はさみのくぼみにはまって、出てきたウイルスが細胞から離れられないようにします。
ねらうのは「はさみのくぼみ」。ここにぴったりはまる分子が、薬の候補になります。
STEP 2
くぼみにはまる分子を探す
ミッション:はさみのくぼみに、ぴったりはまる分子は?
鍵と鍵穴:はまる分子の2つの条件
① 形が合う
くぼみの形に、すき間なく、ぶつからずに入る。
② 手をつなぐ
くぼみの「手」と、分子の O–H・N–H が引き合う(水素結合)。
ドッキング・パズル
4つの候補のうち、くぼみにいちばんよくはまるのはどれでしょう。予想してから、候補を順に入れてみてください。
これがドッキング計算の考え方です。本物の計算では、はまる強さをエネルギーで見積もります。
コンピュータなら、一気にためせる
実験で分子を1つずつ作って調べると、とても時間がかかります。コンピュータなら、何十万、何百万という候補を計算でふるいにかけ、有望なものだけを選び出せます。これをバーチャルスクリーニングといいます。
人類が見つけた答え
くぼみの形をもとに、コンピュータを使って設計されたのが、リレンザ(ザナミビル)とタミフル(オセルタミビル)です。どちらも同じくぼみにはまる薬で、真ん中の環とまわりの飾りの並び方がよく似ています。ドラッグすると、分子を回せます。
ところが、リレンザは粉を吸いこむ吸入薬、タミフルはカプセルの飲み薬です。同じくぼみにはまるのに、なぜ飲み方がちがうのでしょう。
STEP 3
体に届く分子に直す
ミッション:リレンザを、飲み薬にできる?
飲み薬が、ウイルスのいる場所に届くまで
1
口から飲む
カプセルの薬が、胃を通って小腸へ。
2 関門
小腸の細胞膜を通る
膜を通り抜けられた分子だけが、血液に入れる。
3
血液で全身へ
血液にのって、体じゅうに運ばれる。
4
ウイルスに届く
のどや気管のウイルスの、はさみのくぼみにはまる。
リレンザは、粉を吸いこんで、ウイルスのいるのどや気管に直接届ける吸入薬です。飲み薬にするには、2 の関門を越えなければなりません。
最初の関門:腸の細胞膜
飲み薬は、小腸の細胞膜を通り抜けないと血液に入れません。細胞膜の中は、油のような層です。ボタンで3種類の分子を1つずつ送りこんでみてください。油になじむ分子(こはく色)は油の層にとけこんで通り抜け、水のような小さな分子(緑)はすきまをすり抜けます。ところが、水になじむ分子(青)は、膜の表面ではね返されてしまいます。
リレンザは、この青い分子のように、水になじむ分子です。では、なぜ水になじむのでしょう。
なぜ水になじむ? O–H が水と手をつなぐから
「水を入れる」を押すと、まわりに水の分子が近づきます。ブドウ糖の O–H には水が手をつないでくっつき(点線=水素結合)、油(ヘキサン)のまわりからは水が離れていきます。水の分子をまとった分子は、油の層にとけこめません。
リレンザの、環から伸びた枝(側鎖)は、ブドウ糖のように O–H だらけです。だから水になじみ、膜ではね返されます。
なじみやすさを、数で表す:log P
油(オクタノール、上)と水(下)を同じ量入れた容器に分子を入れて振ると、油と水にどう分かれるかは分子ごとに決まっています。その比(油の濃さ ÷ 水の濃さ)の対数が log P です。log P が 1 増えると、油になじむ度合いが 10 倍になります。物質のボタンを押すと、よく振ってから2つの層に分かれていくようすを比べられます。
log P が大きい分子ほど、膜の油の層にとけこみやすく、飲んでも体に入りやすくなります。ただし大きすぎると、こんどは水(血液)に溶けにくくなります。飲み薬には、ちょうどよい範囲があります。
リレンザの log P は −3.79
リレンザは、水のほうに約6,000倍なじみます。だから腸の細胞膜を通りにくく、飲んでも体に吸収されにくいのです。
逆に言えば、飲み薬にしたければ、log P を上げればよいことになります。
リレンザを書き換えて、飲み薬にしよう
くぼみにはまる骨組みは残したまま、水になじむ部分を油になじむ形に書き換えると、log P はどう変わるでしょう。書き換える場所は4つです。① O–H が3つ並んだ枝(側鎖)を、炭素と水素の枝に。② N と H がたくさんついた部分(グアニジノ基)を、小さなアミノ基(NH₂)に。③ 環の中の O を C に。④ 端の COOH を、炭素の鎖をつけた形(エステル)に。どの書き換えがいちばん効くか予想してから、①〜④を1つずつ押してみてください。log P は、分子の構造からコンピュータが計算します。
計算には、原子ごとの寄与を足し合わせるクリッペン法(RDKit という無料のソフト)を使っています。はじめに計算の道具を読みこむので、10秒ほどかかります。途中の段階は考え方を見せるためのもので、実際の合成の道筋ではありません。
4か所を書き換えると、タミフルになる
①〜④を押すと、リレンザからタミフルへ書き換えた場所が光ります。くぼみにはまる骨組みは残して、水になじむ O–H・N–H を、油になじむ C–H に置きかえました。④のエステルには、もう1つ工夫があります。エステルのままでは、くぼみのプラスの部分と引き合うマイナスの COO⁻ になれず、うまくはまりません。そこで、飲んだあと体の中でエステルが外れ、はまる形に戻るように作ってあります。このような薬を、プロドラッグと呼びます。
①の枝も、ただ log P を上げただけではありません。実際のタミフルの枝は、くぼみの中にある油になじむ小さなすき間(ドッキング・パズルの「油の場所」)に入りこんで、結合を強めるように設計されています。
STEP 4
データから規則を学ぶ
ミッション:log P の計算は、どうやって作られた?
データから規則を学ぶ
STEP 3 で使った log P の計算法は、実際に測った多くの分子の log P から、「どの原子がどれだけ log P を上げ下げするか」を学んで作られています。下の図では、アルコールの実測値から、炭素1個ぶんの寄与を学びます。「学習する」を押すと、規則が少しずつデータに合っていきます。
log P = × 炭素の数
- 測った分子(学習に使う)
- 点と規則のずれ
- まだ測っていない分子
- 答え(実測)
| 分子 | 予測 | 実測 | ずれ |
|---|
データ:直鎖アルコールの log P 実測値(J. Sangster, J. Phys. Chem. Ref. Data 18, 1111 (1989) の推奨値)。
学んだ規則で、まだ測っていない分子の log P を予測し、答え合わせもできます。今では、AI(機械学習)が、log P だけでなく、薬の効き目や副作用まで予測するようになっています。
MISSION CLEAR
ミッション・クリア!
ミッションの答え:タミフル
- ① くぼみにはまる:リレンザと同じ骨組みを残し、①の枝はくぼみの中の油になじむすき間に入りこむので、はさみのくぼみにはまります。
- ② 体に届く:水になじむ部分を4か所書き換えて、log P を −3.79 から +1.29 に上げました。小腸の細胞膜を通り抜けられます。
- ※ 書き換え④のエステルは、飲んだあと体の中で外れ、くぼみにはまる形に戻ります(プロドラッグ)。
コンピュータがしたこと
- STEP 1 敵を知る:ねらう場所を、はさみ(ノイラミニダーゼ)のくぼみに決めた
- STEP 2 探す:くぼみにはまるかを点数にして、たくさんの候補を作る前にふるいにかけた
- STEP 3 予測する:作る前に log P を計算して、膜を通れる形に書き換えた
- STEP 4 学ぶ:その log P の計算の道具を、実際に測ったデータから作った
計算化学は、薬づくりのどの段階でも、「作る前に予測する」ことで力を発揮します。
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ところが、ウイルスも黙ってはいません。変異して、薬が効かなくなることがあります(薬剤耐性)。 なぜ効かなくなるのかを分子のレベルで調べるのが、山本研究室の生物物理チームの研究です。 また、このページの話は、教科書『コンピュータのなかの実験室』の第 3〜5 章を、授業のために 1 つの話に通したものです。 それぞれの計算を、もっとくわしく読むことができます。

