空を観測する、空を計算する
明日の天気は、どうやって予想しているのでしょうか。予報する人が空を見上げて、雲の形から勘で決めているわけではありません。 気象庁のコンピュータが、地球をおおう大気がこれからどう動くかを、物理の法則にしたがって計算しています。 コンピュータの中で、明日の空を先に作ってみているのです。
空を観測して分かるのは、今の空です。そこで、観測した今の空から、明日の空を計算で求めます。 このように、コンピュータで大気の状態の変化を計算して天気を予測することを、数値予報と呼びます。
ただし、空気は切れ目なくつながっていて、そのままではコンピュータに渡せません。そこで、大気を縦・横・高さに細かく区切り、 マスの集まり(格子)として表します。マス1つには、気温・風・水蒸気の量・気圧などの数を1組ずつ持たせます。
本物の空を、コンピュータで計算できる形に置きかえたものをモデルと呼びます。 モデルを、決まった規則にしたがってコンピュータの中で動かし、どうなるかを調べることが、シミュレーションです。 空を測るのが本物の観測なら、数値予報はコンピュータの中の実験です。
天気予報を3つの問いで読む
コンピュータの中の実験で、コンピュータが何をしているかは、次の3つの問いを立てるとよく分かります。 何をモデルにしたか、何をくり返したか、どこまで信じられるか、です。このあとの第 1〜5 章も、最後にこの3つの問いでまとめます。
何をモデルにしたか
答えは、格子のマスです。マスの中は1組の数で表すので、マスより小さなものは、1つ1つを表せません。
何をくり返したか
あるマスの少し先の気温を、手で計算してみます。幅13 kmのマスが東西に3つ並び、風は西から東へ秒速10 mで吹いています。 5分後、真ん中のマスの気温は何 ℃になるでしょうか。
🖐 さわってみよう本の図 序-4・序-5
明日の気温を計算する
風が気温を運ぶことだけを考えた、簡単なモデルです。まず予想してから、「5分進める」を押してみてください。
いま 風 秒速 10 m →
西のマス
℃
真ん中のマス
℃
東のマス
℃
マス1つの幅は 13 km。5分で、風は 3 km 進みます。
予想してみよう:5分後、真ん中のマスの気温は?
濃い色の帯が、5分のあいだに西のマスから入ってくる空気です。くり返すときは、いちばん西のマスを 20 ℃のままとしています。
答えは約16.2 ℃です。本物の数値予報では、風や水蒸気の量や気圧もいっしょに計算します。 地球全体を計算するモデルは、これをすべてのマスについて、時間を5分ほどずつ進めながらくり返します。マスの計算は、合わせて1兆回を超えます。
コンピュータがなかった1920年ごろ、イギリスのリチャードソンは、格子に区切った大気の計算を手でやってみました。 6時間先の予報を出すのに1か月以上かかったうえ、計算の結果は大きく外れて、予報としては使えませんでした。
テラどこまで信じられるか
計算を始めるときの大気の状態は、観測しきれなかった分だけ不確かで、先の予報になるほど外れやすくなります。 数値予報を信じられるものにしてきたのは、毎日の答え合わせです。出した予報をあとで観測と比べ、分かった弱点をもとにモデルを直してきました。 この流れは計算化学でも同じで、第 6 章でもう一度取り上げます。
分子でも、同じことができる
分子をつくる原子や電子も、物理の法則にしたがって動きます。それなら、天気予報と同じことが分子でもできるはずです。
計算化学は、フラスコの並ぶ実験室とは別に、コンピュータの中にもう1つの実験室を作ります。
よくある誤解に、「シミュレーションは、答えを前もってコンピュータに教えてあるから、その答えが出てくる」というものがあります。 数値予報のコンピュータは、「台風はこう進め」とは教えられていません。渡されるのは、今の大気の状態と、空気の動きの規則だけです。 分子も同じで、第 1 章では、分子どうしが引き合う規則だけから、水と油が分かれていくようすを見ます。
分子の世界は、小さくて速い
なぜ分子を、わざわざコンピュータの中で調べるのでしょうか。理由の1つは、分子がとても小さく、しかもとても速く動いていることです。 1 mmの水滴を地球の大きさまで拡大しても、その中の水分子は4 mほど、乗用車くらいにしかなりません。
次に、速さです。室温の水分子は、平均で秒速590 mほどで動いています。音の速さ(秒速350 mほど)よりも速いのです。 分子の世界の出来事は、1000万分の1 mmという大きさと、1兆分の1秒という短い時間の中で起こっています。
これほど小さくて速いと、分子が動くようすを実験で1コマずつ追うのは、とてもむずかしくなります。 コンピュータの中なら、分子のモデルを1コマずつ止めて、原子の位置や電子の広がりを調べられます。
ノーベル化学賞でたどる計算化学
分子をコンピュータで計算する研究は、1960年代に、分子の中の電子を表す方程式をコンピュータで解き始めたころから、大きく進みました。 その歩みは、ノーベル化学賞にも表れています。
1998年
コーン、ポープル
分子の中の電子を計算する方法
2013年
カープラス、レヴィット、ウォーシェル
大きな分子の化学反応を計算するモデル
2024年
ベイカー/ハサビス、ジャンパー
タンパク質の設計と、人工知能で構造を予測
テラ計算化学の4つのはたらき
計算化学が化学の研究でしていることは、大きく4つのはたらきに分けられます。 小さくて速くて実験では見えにくい分子の動きや電子を「見る」。何億もの候補の分子から、薬になりそうな分子を「探す」。 分子を作る前に、その性質を「予測する」。たくさんのデータから、規則を「学ぶ」。
このうち「見る」だけは、分子の動きを調べる第 1 章と、電子を調べる第 2 章の2つに分けました。 どの章も、まず本物の実験や観察で調べ、次に同じことをコンピュータの中で試す、という順に進みます。
第 1 章 見る・分子動力学
分子の動きを「見る」→
- 本物の実験:
- 水と油を振って、分かれるのを見る
- コンピュータの中:
- 分子を1個ずつ動かす
第 2 章 見る・量子化学
電子を「見る」→
- 本物の実験:
- 炎色反応やホタルの光の色を見る
- コンピュータの中:
- 電子を計算して、光の色を求める
第 3 章 探す・ドッキング
薬の候補を「探す」→
- 本物の実験:
- 酵素のはたらきが、薬の候補で止まるかを調べる
- コンピュータの中:
- 候補の分子を酵素に置いて、結合の強さを点数にする
第 4 章 予測する・ケモインフォマティクス
体に届くかを「予測する」→
- 本物の実験:
- 水とオクタノール(油)を振って分ける
- コンピュータの中:
- 構造式から、水と油への分かれ方を計算する
第 5 章 学ぶ・機械学習
データから「学ぶ」→
- 本物の実験:
- 測ったデータを表に集める
- コンピュータの中:
- データから規則を学ぶ
そのあとの2章では、ここまでの計算を振り返り、これからを見わたします。