発電所や工場の煙突から出る排ガスには、CO₂ のほかに、窒素や水蒸気がたくさん混じっています。 この混ざったガスから、CO₂ だけを取り出せないでしょうか。CO₂ と窒素は、どちらも目に見えない小さな分子です。 この2つを分けるには、分子と同じくらい小さな穴をもつ材料が役に立ちます。

ここまでは主に薬を例にしてきました。最後の章では、材料に目を向けます。新しい読み方は要りません。序章で天気予報を読んだ3つの問いで、CO₂ をつかまえる材料を探す計算を読み、そのうえで全体をふり返ります。
穴で CO₂ をつかまえる
金属イオンと有機分子を溶液の中で混ぜると、金属イオンを角にして、長い有機分子が橋をかけるようにつながっていきます。 こうしてできた結晶の中には、分子が入れるほどの小さな穴が、規則正しく並びます。 このような結晶を金属有機構造体(略して MOF)と呼びます。結晶の中の小さな穴を細孔といいます。
ガスの分子が細孔に入ると、壁の原子と引き合って、壁ぎわにとどまることがあります。 このように、気体の分子が固体の表面に集まってとどまることを吸着と呼びます。 細孔の形と壁の原子を選べば、CO₂ はよく吸着し、窒素はほとんど吸着せずに通りぬける MOF を作れます。 細孔の壁の面積はとても広く、1999年に作られた MOF の1つは、わずか数グラムの中に、サッカー場ほどの広さの表面をもっていました。
テラ2025年のノーベル化学賞は、「金属有機構造体の開発」で、北川進、リチャード・ロブソン、オマー・ヤギーの3人に贈られました。 MOF を作り、その可能性を示した研究への賞で、計算の賞ではありません。けれども、作る MOF を選ぶところで、計算化学が使われています。
🖐 さわってみよう本の図 終-2
穴で CO₂ をつかまえる
左からガス(CO₂・N₂・O₂)が流れこみます。圧力を上げ下げして、穴に CO₂ がとどまるようすを見てください。「やわらかい MOF」に切りかえると、ガスが増えたときに穴が開くようすも見られます。
計算そのものではなく、しくみのイメージです。
金属イオンと有機分子の組み合わせは数えきれないほどあり、化学者がこれまでに作った MOF だけでも何万種類にのぼります。 1つずつ合成して、CO₂ をどれだけ吸着するかを測っていたのでは、とても追いつきません。どの組み合わせがよいのかを、作る前に知る方法はないでしょうか。
3つの問いで読む
作る前に選ぶための計算を、序章と同じ3つの問いで読んでみます。
何をモデルにしたか
金属イオンと有機分子がつながった MOF の本体を骨格といいます。骨格の原子の位置は、部品をつないで組み立てれば、まだ作られていない MOF でも決められます。 骨格はほとんど動かないものとして原子をその位置に止めておき、CO₂ は、第 1 章と同じように原子をつぶとして扱います。 CO₂ と骨格の原子が引き合う強さやぶつかりは、原子どうしの距離から計算し、電子の動きは省きます。
テオ何をくり返したか
細孔のでたらめな場所に CO₂ を1つ入れてみるか、入っている CO₂ を1つ取り出してみます。 そのとおりにするかどうかは、引き合いの強さと圧力から、くじで決めます。コンピュータは、この1回を何百万回もくり返します。
やがて、細孔に入っている CO₂ の数は、ある数のまわりで増えたり減ったりするようになります。この数の平均が、その圧力での吸着量です。CO₂ がどこにとどまりやすいかも見えてきます。
コンピュータは、この計算を何十万個もの MOF で行えます。 2012年に報告された研究では、102種類の部品から13万7953個の MOF を組み立て、都市ガスの主成分であるメタンをどれだけためられるかを計算しました。 知られていたどの材料よりも多くためると予測された MOF が300個以上見つかり、そのうちの1つを合成すると、予測どおりの量をためました。第 3 章のバーチャルスクリーニングと同じように、コンピュータの中でふるいにかけ、上位だけを作って確かめたのです。
どこまで信じられるか
コンピュータの中で組み立てた MOF が、実際に作れるとは限りません。作れたとしても、こわれずに使えるかどうかは別の問題です。 1989年に作られた最初の MOF も、すぐにこわれてしまう不安定なものでした。骨格を止めたので、ガスが入ると形を変えるやわらかい MOF も、この計算では扱いにくくなります。 本物の排ガスには水蒸気も混じっていて、水が CO₂ と同じ場所を取り合うことがあります。
金属イオンのそばは、CO₂ と強く引き合う場所の1つです。水蒸気の混じった排ガスから CO₂ を取り出すときも、金属イオンのそばの場所をもつ MOF を選べばよいでしょうか。
水で答えが変わる
実際の研究者たちは、金属イオンのそばを選びませんでした。2019年に報告された研究を見てみます。
この研究では、コンピュータの中で組み立てた30万個を超える MOF について、CO₂ の吸着を計算しました。 多くの MOF は、乾いたガスでは CO₂ と窒素をよく分けますが、水蒸気が混じると、CO₂ が吸着する場所を水が先に占めてしまいます。
そこで、計算で得たたくさんのデータを調べ、CO₂ を強く吸着する場所の形を、いくつかの種類に分けました。すると、金属イオンのそばの場所は、水も引きつけやすい傾向がありました。 選んだのは、いちばん疎水性の高い形で、ベンゼン環のような平らな環が2枚、すき間をあけて重なった、金属イオンをふくまない形です。
この形をもつ MOF を2つ合成すると、2つとも、水が混じっても CO₂ を吸着する性能が落ちず、市販の材料のいくつかを上回りました。実際の工場で使えるかどうかの試験は、これからの課題とされています。
強く引き合う場所を選ぶという素直な見通しは、水が混じると通用しませんでした。その見通しを直したのは、たくさんの計算のデータと、合成して確かめる実験です。第 6 章で見たように、計算には外れがあるので、実験と組み合わせて使います。
4つのはたらきをもう一度
序章では、計算化学のはたらきを、見る・探す・予測する・学ぶの4つに分けました。 MOF を探す研究には、この4つがすべて入っています。
はたらき
コンピュータがくり返したこと
MOF では
「コンピュータがくり返したこと」を、上から読んでみてください。どの章でも、コンピュータは、決めた規則で同じ計算をくり返していました。 どれも1回分なら手でもできる計算ですが、コンピュータは、それを何百万回、何億回とくり返します。
計算化学が切り拓くのは、作る前に選べる化学です。薬の候補も、CO₂ を回収する材料も、何十万個も作って試すことはできません。 コンピュータの中で試して絞りこみ、実験で確かめる。この組み合わせで、化学者が調べられる分子と材料の数は、ずっと増えていきます。
計算化学を学ぶには
計算化学を学ぶのに、特別な入口はありません。高校の化学・物理・数学・情報の続きを大学で学んでいけば、その先に計算化学があります。
高校
大学
つながる章
高校:情報 I
→ 大学:プログラミング大学からでも間に合う
大学の科目の名前は、化学系の学科でよく見られるものです。
プログラミングは、今できなくても心配はいりません。大学に入ってから、あるいは研究室に入ってから身につける人がたくさんいます。 それより先に、分子を見る目を育ててください。計算の答えがおかしいことに気づけるのは、化学が分かっている人です。
テラ
テオ
テラ山本研究室の化学工学チームでは、MOF の細孔の形によって CO₂ の吸着がどう変わるかや、 やわらかい MOF の細孔が開くしくみを、分子動力学で調べています。 研究室のことをもっと知りたくなったら、下のページへどうぞ。