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コンピュータのなかの実験室 Web 版 第 1 章

分子の動きを「見る」

原子を「つぶ」、結合を「ばね」にして、分子を1コマずつ動かします。水と油が分かれるようすも、コンピュータの中で見られます。

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サラダのドレッシングをよく振ると、油が細かい滴になって、全体がにごったように混ざります。 ところが、しばらく置いておくと、油は上に、酢(ほとんどが水)は下に集まって、また2つの層に分かれてしまいます。 油の分子が、水の分子をはじき出しているのでしょうか。分子を1個ずつコンピュータの中で動かして、そのわけを「見る」ことにします。

本物の実験:水と油、氷と水と水蒸気

透明なびんに水とサラダ油を入れ、ふたをしてよく振ります。油は細かい滴に分かれ、水の中に散らばって、全体が白くにごります。 びんを置いておくと、滴はしだいに集まって大きくなり、やがて油は上の層、水は下の層に戻ります。

水と油を入れたびんを振る前、よく振った直後、しばらく置いたあとの3つの絵。振った直後は油の滴が水の中に散らばり、置いておくと油と水の2層に戻る。
水と油を入れたびんを振る実験。びんと滴は、形を簡単にした絵です。

この実験で分かるのは、「水と油は混ざらない」という結果です。けれども、なぜ混ざらないのかは、びんを見ていても分かりません。 分子は1000万分の3 mmほどの大きさしかなく、秒速数百 mで動いているからです。

もう1つ、身近な実験があります。氷を温めると、0 ℃で溶けて水になり、100 ℃で沸騰して水蒸気になります。 氷も水も水蒸気も、同じ水分子でできています。温度を変えるだけで、固体・液体・気体という3つの状態(三態)が入れかわるのです。 では、分子の何がちがうのでしょうか。これも、目では見えません。

分子をつぶとばねで表す

分子をコンピュータの中で動かすために、まず分子のモデルを作ります。分かりたいことに必要なものを残し、それ以外の細部は省きます。 本物の水分子は、1個のO原子と2個のH原子が、共有結合でつながったものです。O–Hの結合の長さは1000万分の1 mmほどで、2本の結合は104.5°の角度で開いています。

分子の動きを追うときに知りたいのは、原子がどこにあり、どちらへ動くかです。そこで、原子を、決まった質量をもつつぶとみなします。 共有結合は、のびたり縮んだりするばねとみなします。結合の角度も、ばねで保ちます。これをつぶとばねのモデルと呼びます。

本物の水分子(O原子とH原子2個、結合の角度104.5°、まわりに電子が広がる)を、原子をつぶ、結合と角度をばねにしたモデルに置きかえた図。省いたものは電子の動きで、ばねは切れない。
本物の水分子(左)と、つぶとばねのモデル(右)。左の淡い色は、電子が広がる範囲の目安です。

このモデルでは、電子の動きは省いています。また、本物の分子では、結合が切れたりできたりして、別の分子に変わることがあります(化学反応)。 つぶとばねのモデルでは、ふつう、結合が切れることも新しくできることもありません。

テオ

テオ

つぶとばねで省いた電子を計算するのが、量子化学の仕事だ。電子が雲のように広がるようすは、次の章で見せよう。

つぶを動かすには、つぶにはたらく力を決めなければなりません。力には2種類あります。 1つは結合のばねの力で、のびると縮める向きに、縮むとのばす向きにはたらきます。 もう1つは結合していないつぶどうしの力で、近づきすぎると強く押し返し合い、少し離れると弱く引き合い、遠く離れるとほとんど力をおよぼしません。 この力は別々の分子の原子どうしにもはたらき、分子どうしを引き合わせます。これが分子間力です。

左は、ばねがのびると縮める向きに、縮むとのばす向きに力がはたらくようす。右は、つぶどうしの力と距離のグラフで、近すぎると押し返し、少し離れると引き合い、遠いとほとんど0になる。
つぶとばねにはたらく力の規則。左は結合のばねの力(矢印が力の向き)、右は結合していないつぶどうしの力と距離の関係です。目盛りの値は描いていません。

さらに、つぶには、わずかなプラスやマイナスの電気も割りふっておきます。 ばねの強さ、つぶの大きさ、引き合いの強さ、電気の量。こうした力の決め方の一式を、力場(force field)と呼びます。 力場の数は、実験の結果や、電子まで考えた計算に合うように決めてあります。

1コマずつ動かす

つぶを動かす規則は、運動の法則 F = ma です。力 F が分かれば、質量 m で割って加速度 a が求まります。 加速度からはほんの一瞬あとの速さが、速さからはその一瞬のあとの位置が求まります。 つぶが動けば距離が変わり、力も変わるので、新しい位置で力を計算し直し、また一瞬だけ進めます。

この1コマの計算を、手で1回やってみます。壁にばねでつながれたつぶを1つ考え、ばねが自然の長さになる位置を0とします。 ばねの強さを1、つぶの質量を1、1コマの時間を0.5とし、単位は省きます。はじめ、つぶは位置4に止まっています。

位置4に止まっていたつぶが、ばねに引かれて1コマ後に位置3へ動く。下の4つの箱で、力 −4、加速度 −4、速さ −2、位置3と順に求める。
手で1回、1コマ進める。上はつぶの位置(薄い丸がコマ0、濃い丸がコマ1)、下は4つの手順の計算です。

① ばねは位置4までのびているので、つぶを−4の力で引きもどします。② 質量が1なので、加速度も−4です。 ③ 1コマ(0.5)のあいだに、速さは0から−2に変わります。④ その速さで0.5の時間だけ進むと、つぶは位置3に来ます。 かけ算と足し算だけで、1コマ分の動きが求まりました。同じ手順を、コンピュータに30回くり返させてみます。

つぶの位置をコマごとに打ったグラフ。最初の1コマは手で計算し、残りの29コマをコンピュータがくり返すと、位置はおよそ4と−4のあいだを行き来する。
上の手順を30回くり返したときの、つぶの位置。

つぶは、およそ4と−4のあいだを行ったり来たりしています。手順のどこにも「振動しなさい」とは書いていません。 それでも、「力 → 加速度 → 速さ → 位置」をくり返すだけで、ばねの振動があらわれました。 このように、原子にはたらく力から、運動の法則にしたがって原子の動きを1コマずつ計算していく方法を、分子動力学(molecular dynamics)と呼びます。

1コマは、どれだけ短いか

1コマが長すぎると、動きがくずれます。上のばねのつぶで1コマを2.1にすると、つぶは遠くへ飛んでいってしまいます。1往復を10コマほどに刻めば、ほぼ正しい動きが求まります。

分子の中でとりわけ速いのは、O–Hの伸び縮みで、水分子では1000兆分の9秒ほどで1往復します。 これを10コマほどに刻むと、1コマは1000兆分の1秒(10−15秒)ほどになります。1コマで進める時間の幅を、時間刻み(time step)といいます。

1コマから1兆コマまで、目盛り1つで1000倍になるものさし。1コマが1000兆分の1秒、100万コマで10億分の1秒、10億コマで100万分の1秒。ふつうの計算は何百万〜何十億コマ。
分子動力学の時間のものさし。1コマを1000兆分の1秒としたときの、時間とコマの数です。

10億分の1秒を進めるだけで、100万コマが必要です。水に囲まれた中くらいの大きさのタンパク質なら、原子はおよそ5万個。 2018年の報告では、GPU(画像を描くための計算部品)1枚で10億コマ(100万分の1秒)まで進めるのに、数日かかりました。

分子動力学で、コンピュータは「力 → 加速度 → 速さ → 位置」という1コマの計算を、たくさんの原子について、何百万回もくり返します。

温度は熱運動の激しさ

分子は、止まっているように見える氷の中でも、いつも動いています。この絶え間ない動きを、熱運動と呼びます。 温度は、この熱運動の激しさを表す数です。温度が高いほど、分子は平均して速く動きます。 コンピュータの中では、温度はつぶの速さで決まります。

ここで、分子1個を1つのつぶにした、2次元の簡単な計算を動かしてみます。ばねも電気もなく、つぶどうしの力は、前に見た「つぶの間の力」の図の右の規則だけです。 平たい箱の中に90個のつぶを入れ、下向きに弱い力(重力のかわり)を加えます。温度は、この計算の中だけの目盛りで、℃ではありません。

温度をうんと低くすると、つぶはどう並ぶでしょうか。答えは、六角形の並びです。内側のつぶは、それぞれ6個のつぶに囲まれて、すき間なく並びます(固体の結晶)。 温度を上げると、つぶは寄り集まったまま位置を入れかえ(液体)、さらに上げると、ばらばらに飛び回ります(気体)。 下の動く図では、同じ温度でも、つぶの色(速さ)がそろわないことにも注目してください。

🖐 さわってみよう本の図 1-9

温度を変えて、氷・水・水蒸気

箱の中の約90個のつぶが、力の規則だけで動いています。温度を上げ下げして、つぶが集まったり飛び回ったりするようすを見てください。色はつぶの速さです(青=遅い、ローズ=速い)。

🖐 うごかせます

温度スライダーを動かすと、気体→液体→結晶と姿が変わります。

温度をいちばん低くしてしばらく待つと、つぶが規則正しく並びはじめます。

計算のどこにも、「低い温度では結晶になりなさい」とは書いていません。つぶどうしの引き合いと、温度で決まる動きの激しさのどちらが勝つかで、3つの状態があらわれたのです。 引き合いが勝てばつぶは集まり、動きが勝てばばらばらになります。 同じ温度でも、つぶの速さはそろっていません。温度は、1個のつぶの速さではなく、たくさんのつぶの動きの激しさを平均したものです。

ただし、本物の氷は、水分子が4個のとなりとつながる(このつながりは、下で説明する水素結合です)、すき間の多い並びで、水に浮きます。どの向きにも引き合うつぶとは、ここがちがいます。

水と油はなぜ分かれるか

水と油の話に戻ります。水分子のO原子は、わずかにマイナスの電気を帯び、H原子は、わずかにプラスの電気を帯びています(下の図のδ−とδ+)。 ある水分子のH(プラス)と、となりの水分子のO(マイナス)は、互いに引き合います。 このように、OやNについたHが、となりの分子のOやNと引き合う結びつきを、水素結合と呼びます。 1個の水分子は、まわりの何個もの水分子と水素結合をつくれるので、水の中では水素結合が網の目のようにつながっています。

左は、水分子のδ+のHと、となりの水分子のδ−のOが水素結合で引き合うようす。右は、たくさんの水分子が水素結合で網の目のようにつながったようす。
水分子どうしの水素結合(左)と、水の中での水素結合のつながり(右)。緑の点線が水素結合です。右は2次元に描いた模式図で、計算した配置ではありません。

一方、油の分子は、ほとんどCとHだけでできています。CもHも、電気をほとんど帯びていません。 そのため油の分子は、水分子と水素結合をつくれず、水分子とは弱い分子間力で引き合うだけです。

この引き合いのちがいだけで、水と油は分かれるのでしょうか。今度は重力のかわりの力は加えず、水6割と油4割のつぶを、合わせて140個にします。 引き合いの強さを、水と水がいちばん強く(水素結合のかわり)、油と油はその10分の9、水と油は10分の3にします。油と油が強めなのは、つぶ1個が大きな油の分子1個を表すので、原子1組ずつの弱い引き合いも、分子1個あたりで合わせるとかなり強くなるからです。 同じ距離なら、水のつぶを引く力は、相手が水のときのほうが、油のときの3倍あまり強くなります。 つぶを箱いっぱいにでたらめに並べ、よく振った直後の状態から動かすと、どうなるでしょうか。 下の動く図の「まざり具合」は、となりどうしのつぶが別の種類である割合を、でたらめに混ぜたときを100%として表した数です。

🖐 さわってみよう本の図 1-14

水と油が分かれる

青が水、琥珀色が油のつぶです(本の図とは色がちがいます)。よく振った直後の並びから始めても、引き合いの強さのちがいだけで、しばらくすると2つに分かれていきます。

🖐 うごかせます

混ぜた状態から始まります。しばらく待つと、青(水)と琥珀色(油)が分かれていきます。

まざり具合100%→ よく混ざっている
分かれているよく混ざっている

水どうしは強く引き合い(水素結合)、油はその仲間に入れないので分かれる。水油

分かれたら「よく振る」でもう一度混ぜてみてください。「温める」と、熱運動が引き合いに勝って、ふたたび混ざりはじめます。

ここでも、計算のどこにも「水と油は分かれなさい」とは書いていません。 水のつぶどうしが寄り集まった並びのほうが安定なので、熱運動で動き回るうちに、水のつぶはかたまっていきます。そうなると、はみ出した油のつぶは、油どうしで集まるしかありません。 油が水をはじき出すのではなく、水どうしが強く、水と油が弱くしか引き合わないために、油が外へ押し出されるのです。

テラ

テラ

ドレッシングを使う直前に振るのは、すぐ分かれちゃうからだね。分かれるまでのあいだに、油の滴が野菜にからむよ!

本当にそうなのかを、水と油の引き合いの強さだけを変えた計算で確かめました。引き合いをなくして押し返しだけにすると、水と油はやはり分かれました。 反対に、水と油を水どうしと同じ強さで引き合わせると、いつまでたっても分かれませんでした。 「油は、水をはじく力をもっている」と考えるのは誤りです。分かれるかどうかは、水どうしの引き合いが、水と油の引き合いよりずっと強いかどうかで決まります。

水分子どうしは水素結合で、水と油の分子よりずっと強く引き合います。そのため、油が水をはじく力をもたなくても、水と油は分かれます。

どこまで信じられるか

水と油の計算では、引き合いの強さの数を1つ変えただけで、分かれるという結果が、分かれないという結果に変わりました。 分子動力学の結果は、どんな力場を使うかしだいです。研究で使う力場も、本物の力を簡単な式で置きかえたものなので、いつも正しい答えを出すとは限りません。 さらに、ばねが切れないので、結合が切れたりできたりする化学反応は、このままでは扱えません。1コマがとても短いので、計算できる時間の長さにも限りがあります。

もう1つ、この章では、水のOがわずかにマイナス、Hがわずかにプラスであることを、決まったこととして使いました。 なぜ電気がかたよるのかは、次の章で、電子をコンピュータで「見る」ことで確かめます。

研究の現場では、水に囲まれたタンパク質を分子動力学で動かします。薬の候補がはまる酵素のくぼみも、熱運動で少しずつ形を変えているからです。 エイズの原因になるウイルスの酵素の1つでは、10億分の2秒の分子動力学から取り出したコマにドッキング(第 3 章)すると、くぼみのとなりにときどき開く溝が見つかりました。 止まった形からは見えなかった溝です。その後、この溝に結合する分子が実験で確かめられ、この酵素のはたらきを止める初めての薬の開発につながったと紹介されています。 山本研究室の生物物理チームも、分子動力学でタンパク質を動かし、ウイルスが変異して薬が効きにくくなるしくみや、神経の病気にかかわるタンパク質の変化を調べています。 くぼみに合う分子を探す計算は第 3 章で見ます。創薬ミッションでも体験できます。

3つの問いで読む

分子動力学のまとめ

何をモデルにしたか(省いたもの)
原子をつぶ、結合をばねにする(電子は省く)
何をくり返したか
力 → 加速度 → 速さ → 位置を1コマずつ。何百万コマも
どこまで信じられるか
力の決め方しだい。結合が切れる反応は扱えない
Web 版の目次
  1. 序章 コンピュータのなかの実験室
  2. 第 1 章 分子の動きを「見る」(分子動力学)
  3. 第 2 章 電子を「見る」(量子化学)
  4. 第 3 章 薬の候補を「探す」(ドッキング)
  5. 第 4 章 体に届くかを「予測する」(原子寄与法)
  6. 第 5 章 データから「学ぶ」(機械学習)
  7. 第 6 章 計算を信じてよいか(実験との答え合わせ)
  8. 終章 計算化学が切り拓く未来(材料の設計)