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コンピュータのなかの実験室 Web 版 終章

計算化学が切り拓く未来

二酸化炭素をつかまえる材料を、何十万個もの候補からコンピュータで選ぶ。計算化学は、薬だけでなく材料の研究も変えています。

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発電所や工場の煙突から出る排ガスには、CO₂ のほかに、窒素や水蒸気がたくさん混じっています。 この混ざったガスから、CO₂ だけを取り出せないでしょうか。CO₂ と窒素は、どちらも目に見えない小さな分子です。 この2つを分けるには、分子と同じくらい小さな穴をもつ材料が役に立ちます。

発電所の煙突の写真。
発電所の煙突(アメリカ)。写真:Dhudson4god, “HarrisonPowerStationViewFromEast.jpg”, Wikimedia Commons, パブリックドメイン

ここまでは主に薬を例にしてきました。最後の章では材料に目を向け、CO₂ をつかまえる材料をコンピュータがどう探すのかを見ながら、4つのはたらきをふり返ります。

穴で CO₂ をつかまえる

金属イオンと有機分子を溶液の中で混ぜると、金属イオンを角にして、長い有機分子が橋をかけるようにつながっていきます。 こうしてできた結晶の中には、分子が入れるほどの小さな穴が、規則正しく並びます。 このような結晶を金属有機構造体(略して MOF)と呼びます。結晶の中の小さな穴を細孔といいます。

金属イオンを角に、有機分子を辺にしてつながった格子の模式図。左から流れこんだガスのうち、CO₂ は細孔の壁ぎわにとどまり、窒素は右へ通りぬける。
MOF のつくりと、細孔に CO₂ がとどまるようす(模式図)。紺の四角が金属イオン、灰色の棒が有機分子です。CO₂ は3つの丸(O・C・O)、窒素は灰色の2つの丸で描いています。

ガスの分子が細孔に入ると、壁の原子と引き合って、壁ぎわにとどまることがあります。 このように、気体の分子が固体の表面に集まってとどまることを吸着と呼びます。 細孔の形と壁の原子を選べば、CO₂ はよく吸着し、窒素はほとんど吸着せずに通りぬける MOF を作れます。 細孔の壁の面積はとても広く、1999年に作られた MOF の1つは、わずか数グラムの中に、サッカー場ほどの広さの表面をもっていました。

テラ

テラ

冷蔵庫の脱臭剤の炭も、小さな穴の壁ににおいの分子を吸着しているよ。MOF なら、細孔の形まで設計できる!

2025年のノーベル化学賞は、北川進(京都大学)、リチャード・ロブソン(メルボルン大学)、オマー・ヤギー(カリフォルニア大学バークレー校)の3人に贈られました。 授賞理由は「金属有機構造体の開発」です。北川は、ガスが入ると形を変える、やわらかい MOF も提案しています。 この賞は MOF を作った研究に贈られたもので、計算の賞ではありません。けれども、作る MOF を選ぶところで、計算化学が使われています。

🖐 さわってみよう本の図 終-2

穴で CO₂ をつかまえる

左からガス(CO₂・N₂・O₂)が流れこみます。圧力を上げ下げして、穴に CO₂ がとどまるようすを見てください。「やわらかい MOF」に切りかえると、ガスが増えたときに穴が開くようすも見られます。

計算そのものではなく、しくみのイメージです。

本物の実験:吸着量を測る

ある MOF が CO₂ をどれだけ吸着するかは、実験で測れます。MOF の粉を容器に入れ、温度を一定にして、量の分かった CO₂ を送りこみます。 CO₂ の一部が細孔に吸着されると、容器の中を飛びまわる気体の分子が減るので、圧力は吸着がないときより低くなります。 この圧力の差から、吸着された CO₂ の物質量(吸着量)が分かります。 温度を一定にして、圧力ごとの吸着量を並べたグラフを吸着等温線と呼びます。

ただし、この実験をするには、MOF を1つずつ合成しなければなりません。化学者がこれまでに作った MOF だけでも、何万種類にのぼります。 どの組み合わせが CO₂ をよく吸着するのかを、作る前に知る方法はないでしょうか。

コンピュータの中で細孔に CO₂ を入れる

同じ実験を、コンピュータの中でもやってみます。細孔の模型に CO₂ を1つずつ出し入れして、入っている数を数えます。 返ってくるのは、本物の実験と同じ、圧力ごとの吸着量です。

左は、CO₂ のボンベと圧力計と MOF の粉の容器をつないだ本物の実験。右は、細孔の模型に CO₂ を出し入れするコンピュータの中の実験。どちらも、圧力ごとの吸着量を返す。
同じ問いに答える、本物の実験(左)とコンピュータの中の実験(右)。左は装置を簡単にした絵です。右の CO₂ の並びは、考え方を見せるための簡単な模型で計算したものです。

金属イオンと有機分子がつながった MOF の本体を骨格といいます。 コンピュータに渡すのは、骨格の原子の位置と、CO₂ の模型と、温度と圧力です。 骨格はほとんど動かないものとして原子をその位置に止めておき、CO₂ は、第 1 章と同じように原子をつぶとして扱います。 CO₂ と骨格の原子が引き合う強さやぶつかりは、原子どうしの距離から計算し、電子の動きは省きます。

手で1回:CO₂ を1つ置いてみる

コンピュータがくり返す1回分を、手でやってみます。細孔の中のどこかに CO₂ を1つ置き、そのまわりの骨格の原子を数えます。 ここでは考え方を見せるために、平面の正方形の細孔を使い、CO₂ も全体を1つのつぶとして扱います。

同じ正方形の細孔の3か所に CO₂ を置いた図。金属イオンのそばでは引き合う距離の原子が9個でほぼ必ず残す。まん中では0個で、くじで決める。骨格に重なる場所では4個の原子とぶつかり、取り除く。
細孔の3か所に CO₂ を置いてみる(考え方を見せるための、平面の細孔の模型)。青い輪は、置いた CO₂ と引き合う距離にある骨格の原子、× は CO₂ とぶつかる原子です。

金属イオンのそばに置くと、引き合う距離にある原子は9個ですが、引き合いのほとんどは金属イオン1個によるものです。 これほど強く引き合うと、CO₂ はほぼ必ず残ります。 細孔のまん中に置くと、引き合う距離にある原子は0個で、残すかどうかはくじで決めます。 骨格に重なる場所に置くと、原子どうしがぶつかるので、CO₂ を取り除きます。

何百万回もくり返す

コンピュータは、この1回を何百万回もくり返します。1回ごとに、でたらめな場所に CO₂ を1つ入れてみるか、入っている CO₂ を1つ取り出してみて、 引き合いの強さと圧力から、そのとおりにするかどうかをくじで決めます。 くり返すうちに、細孔に入っている CO₂ の数は、ある数のまわりで増えたり減ったりするようになります。この数の平均が、その圧力での吸着量です。 このように、乱数(でたらめな数)で置き場所や出し入れを決め、何度もくり返して平均をとる計算をモンテカルロ法と呼びます。

この簡単な模型で、2つの細孔を、10通りの圧力で計算しました。出し入れは合わせて400万回で、ノートパソコンで40秒ほどかかりました。 細孔 A は、四すみの金属イオンが CO₂ と強く引き合う細孔です。 細孔 B は、形は細孔 A と同じですが、四すみの金属イオンが引き合う強さを、壁をつくる有機分子の原子と同じ弱さにしています。 圧力が低いところで CO₂ を多く吸着するのは、どちらでしょうか。

2つの細孔の吸着等温線。圧力が低いところで、細孔 A(強く引き合う場所が四すみにある)は細孔 B(ない)より多くの CO₂ を取りこむ。圧力を上げると差は縮まる。
簡単な模型で計算した、2つの細孔の吸着等温線。縦軸は、細孔に入っている CO₂ の数の平均です。考え方を見せるための模型で、本物の MOF の値ではありません。横軸の目盛りの値は描いていません。

答えは細孔 A です。圧力が低いところでは、細孔 A は細孔 B の4倍ほどの CO₂ を吸着しました。 細孔 A では、圧力が低くても、CO₂ がまず四すみの強く引き合う場所に入り、なかなか出ていかないからです。 圧力を上げると、細孔 B にも CO₂ が入るようになり、2つの開きは1.4倍ほどまで縮まります。

本物の MOF の細孔は立体で、骨格の原子も何百個とありますが、コンピュータがくり返すことは、この模型と同じです。

テオ

テオ

この計算は電子を省いた。CO₂ が細孔の壁と引き合う強さを、電子から求めるなら、量子化学の出番だ。

何十万個もの MOF から選ぶ

MOF は部品を組み合わせて作るので、まだ作られていない MOF の骨格を、コンピュータの中で組み立てることもできます。 2012年に報告された研究では、102種類の部品から13万7953個の MOF を組み立て、都市ガスの主成分であるメタンをどれだけためられるかを計算しました。 知られていたどの材料よりも多くためると予測された MOF が300個以上見つかり、そのうちの1つを合成すると、予測どおりの量をためました。第 3 章のバーチャルスクリーニングと同じように、コンピュータの中でふるいにかけ、上位だけを作って確かめたのです。

CO₂ でも同じやり方が使われています。2019年に報告された研究では、コンピュータの中で組み立てた30万個を超える MOF について、CO₂ の吸着を計算しました。 多くの MOF は、乾いたガスでは CO₂ と窒素をよく分けますが、水蒸気が混じると、CO₂ が吸着する場所を水が先に占めてしまいます。 そこで研究者たちは、計算で得たデータから、CO₂ を強く吸着する場所の形を種類に分け、いちばん水になじみにくい形を選びました。 ベンゼン環のような平らな環が2枚、すき間をあけて重なった形で、金属イオンはふくみません。 この形をもつ MOF を2つ合成すると、2つとも、水が混じっても CO₂ を吸着する性能が落ちず、市販の材料のいくつかを上回りました。実際の工場で使えるかどうかの試験は、これからの課題とされています。

コンピュータの中で組み立てた30万個あまりの MOF の吸着を計算し、データから CO₂ を強く吸着する場所の形を見つけ、実験では2個を合成して確かめた流れ。
湿った排ガスから CO₂ を回収する MOF を探した例(2019年)。

どこまで信じられるか

ただし、コンピュータの中で組み立てた MOF が、実際に作れるとは限りません。 作れたとしても、こわれずに使えるかどうかは別の問題です。1989年にロブソンが作った最初の形も、すぐにこわれてしまう不安定なものでした。

外れる理由は、モデルが省いたものにもあります。骨格をほとんど動かないものとしたので、ガスが入ると形を変えるやわらかい MOF は、この計算では扱いにくくなります。 本物の排ガスには水蒸気も混じっていて、水が CO₂ と同じ場所を取り合うこともあります。 そのため、計算で絞った候補は、最後に合成して、実際のガスで確かめます。第 6 章で見たように、計算には外れがあるので、実験と組み合わせて使います。

4つのはたらきをもう一度

序章では、計算化学のはたらきを、見る・探す・予測する・学ぶの4つに分けました。 MOF を探す研究には、この4つがすべて入っています。

見る(分子の動き)

力から次の位置を求めて、1コマずつ進める

MOF では:細孔の中で、CO₂ がとどまる場所を見る

見る(電子)

電子の広がりとエネルギーを求める

MOF では:CO₂ を吸着する場所の引き合いの強さを求める

探す

分子を置いて点数にする(何億個ぶん)

MOF では:30万個あまりの MOF から候補を絞る

予測する

原子の寄与を足して、性質の数を出す

MOF では:作る前に、CO₂ の吸着量を見積もる

学ぶ

予測の誤差が小さくなるように、規則を直す

MOF では:計算のデータから、よく吸着する場所の形を見つける

「コンピュータがくり返したこと」を、上から読んでみてください。どの章でも、コンピュータは、決めた規則で同じ計算をくり返していました。 どれも1回分なら手でもできる計算ですが、コンピュータは、それを何百万回、何億回とくり返します。

計算化学とは、分子のモデルを作り、その規則にしたがってコンピュータにくり返し計算させ、実験の前に結果を予測することです。 何を省いたモデルなのかを知り、最後は実験で確かめれば、計算は、作る前に候補を絞りこむ力になります。

計算化学が切り拓くのは、作る前に選べる化学です。薬の候補も、CO₂ を回収する材料も、何十万個も作って試すことはできません。 コンピュータの中で試して絞りこみ、実験で確かめる。この組み合わせで、化学者が調べられる分子と材料の数は、ずっと増えていきます。

計算化学を学ぶには

計算化学を学ぶのに、特別な入口はありません。高校の化学・物理・数学・情報の続きを大学で学んでいけば、その先に計算化学があります。

高校:化学基礎・化学

→ 大学:有機化学・無機化学

つながる章:第 3・4 章

高校:化学基礎・化学、物理基礎・物理

→ 大学:物理化学(熱力学・量子化学・統計力学)

つながる章:第 1・2 章

高校:物理基礎・物理

→ 大学:力学・電磁気学

つながる章:第 1 章

高校:数学

→ 大学:微分積分・線形代数・統計

つながる章:第 5・6 章

高校:情報Ⅰ

→ 大学:プログラミング大学からでも間に合う

↓ 計算化学の研究

大学の科目の名前は、化学系の学科でよく見られるものです。分子動力学や電子の計算は物理化学に、データから学ぶ計算や実験との答え合わせは統計に、つながっています。

プログラミングは、今できなくても心配はいりません。大学に入ってから、あるいは研究室に入ってから身につける人がたくさんいます。 それより先に、分子を見る目を育ててください。計算の答えがおかしいことに気づけるのは、化学が分かっている人です。

山本研究室の化学工学チームでは、MOF の細孔の形によって CO₂ の吸着がどう変わるかや、 やわらかい MOF の細孔が開くしくみ(ゲートオープニング)を、分子動力学で調べています。 研究室のことをもっと知りたくなったら、下のページへどうぞ。

Web 版の目次
  1. 序章 コンピュータのなかの実験室
  2. 第 1 章 分子の動きを「見る」(分子動力学)
  3. 第 2 章 電子を「見る」(量子化学)
  4. 第 3 章 薬の候補を「探す」(ドッキング)
  5. 第 4 章 体に届くかを「予測する」(原子寄与法)
  6. 第 5 章 データから「学ぶ」(機械学習)
  7. 第 6 章 計算を信じてよいか(実験との答え合わせ)
  8. 終章 計算化学が切り拓く未来(材料の設計)